本学における教員養成のあゆみ

現在,本学の教職課程は,教育職員免許法に定められている

  • 「教職に関する科目」
  • 各免許教科の「教科の指導法に関する科目」
  • 免許教科「工業」の「教科に関する科目」のうちの「職業指導」
  • 免許教科「情報」の「教科に関する科目」のうちの「マルチメディア表現及び技術」・「情報と職業」

を1頁に示した専任教員と外部から招聘している非常勤講師とによって担当し,運営することによって,中学校並びに高等学校教員養成の機能の基礎を作り出している。ただし,教職課程は,後述する通り,教職科目担当教員のみで認定を受けるものではなく,各系・コースの専門科目を担当する教員も,「教科に関する科目」の担当者として教職課程認定に関わっている。さらには,日本国憲法,体育,外国語,情報機器の操作に関する科目の単位修得も必要とされ,実質的には,本学の教員のほとんどが教職課程に関わっているという事実を忘れてはならないだろう。


ここで少し歴史をふり返ってみると,東京工業大学が教員養成の役割を果たしてきたのは,その最初の前身である明治14年設立の東京職工学校にまでさかのぼることができる。

すなわち,文部卿福岡孝弟が太政大臣三条実美に提出した「職工学校ヲ東京ニ設置スヘキ件ニ付伺」の中に,東京職工学校設立の目的の一つとして,将来全国に設置されるであろう同様の職工学校のための師範学校とするということが挙げられていた。

だが,東京職工学校は東京工業学校と名を変えて(明治23年)専門工業教育機関としての態をなしてくる中で,明治27年の「工業教員養成規程」に基づいて,同年中等工業学校教員を養成する工業教員養成所が附置された。

この養成所は東京工業学校が東京高等工業学校を経て,東京工業大学と昇格した(昭和4年)後も,しばらく設置されており,昭和6年に廃止となった。

これ以後は,明治32年に制定された「実業学校教員養成規定」の大正9年の改正に基づいて,東京工業大学の学生で,将来中等工業学校教員になる者には,国からの学資補給がなされるという形で行われた。

このことの意味は,中等工業学校教員の養成が,大学でも行われるようになったということなのである。今日の工業高等学校の歴史や,手工教育の歴史をひもといてみるとき,注目すべき教育実践に関わった本学の先輩をしばしば見いだすというすぐれた伝統は,この歴史の中から生みだされたのである。

また,旧制中学校の教員になるためには,明治17年「中学校師範学校免許規定」というのが制定されて,検定試験によって旧制中学校の教員になれたため,本学の卒業生でそうしたコースを選んだ者も当然いたことであろう。


そして,戦後において,こうした中等工業学校や旧制中学校の後身となった高等学校と,新制中学校の教員養成が,新たな形で本学で始められた。すなわち,戦後間もない頃に,その後の教職学科目の基になる研究室が,人文学系の研究室の一つとして開かれ,教職課程が昭和24年制定の「教育職員免許法」に基づいて開始された。

それは,教職学科目が開講する科目と,専門課程の科目を履修することによって教職課程を履修することができるというシステムなのである(もちろん,昭和36年から昭和44年の間,工業教員養成所が附設されて,工業高等学校の急増期に対応したことは記憶にとどめておかねばならないが)。

今日では,教員養成のための独自の専門課程はなくなり,広く教員になれるための機会が開かれている。だからといって,教員免許状を得るのは簡単だと考えるなら,それは思い違いである。本学に学ぶ学生がすべて,教員免許状を取得する機会に恵まれているという,今日のこの制度を,皆で大事にしてほしい。そして,日本のかつての中等工業教育の歴史の中に果たした本学の輝かしい伝統を引き継ぎつつ,更に,これからの日本の中等教育全体に対し,多大の役割を果たす青年が数多く,本学の教職課程から育ってほしいと思う。


なお,教職科目担当専任教員は,平成8年度以前まで工学部教職学科目に所属していたが,大学院社会理工学研究科の設置に伴い,人間行動システム専攻人間開発科学講座に所属変更になり,大学院学生の研究指導も担当することになった。さらに,平成28年度以降は,リベラルアーツ研究教育院に所属変更になったが,大学院で教育工学,認知科学,教育学などの研究テーマに取り組む学生の受け入れを環境・社会理工学院 社会・人間科学コースで引き続き行っている。